1991年(平成3年度)春季成績

1991年 地区N700Kレース 参加羽数 327羽中 1位  宮城北部連盟総合26位


90ZA79570 ♂ G 道下千尋作翔 

平成2年10月1日 参加羽数2649羽 四ツ倉 200Kレース 連合会21位

平成3年4月1日 参加羽数 327羽 阿田和地区N700Kレース 連合会優勝 宮城北部連盟 総合26位
 

1990年秋季レースからの参加で、600Kレースまでは経験していたものの、春の長距離を戦うのは、このレースが初めてでした。

地区Nレースに参加する時には、この鳩と、もう一羽しか選手鳩は残っていませんでした。競翔技術なんてものは皆無でした^_^;

4月1日に三重県阿田和町より6:30に放鳩された鳩は、何レースに遭遇しました。宮城北部連盟で当日に一羽の鳩も帰還していない
という報告がありました。

翌朝、まだ薄暗いうちから外に出て待っていた記憶があります。東北地方の4月は、まだ寒さが厳しく朝の待機時は凍える寒さでした。
しかし、待っても待っても鳩は帰還しません。現在のように携帯電話がある時代ではなく、家の電話だけでした。

当時は新人でしたから、今のように情報は、どこからも入ってきません。同時期に始めた仲間と連絡しあうくらいでした。

朝ご飯を食べるでもなく、配達に行く気もなく、ただジッと鳩の帰還を待ちました。

お昼を過ぎた頃に、一羽の鳩が鳩舎めがけて降りてくるのが見えました。この一羽が後に道下白雪南部系源鳩になった、
源鳩570号です。

今では、大船渡で審査が行なわれますが、当時はレジョナル500Kレース以降は、気仙沼まで行って(1時間かかりました。)の審査でした。
時計もベンジングでした。
秒針が、ちょっとでもずれていると失格(>_<)です。 当時の審査は、厳しく、失格になってしまう方を多く見ていましたから、
優勝が決定するまでの間は緊張しまくりだったのを記憶しています。

優勝が決まった瞬間は、嬉しさがこみ上げてきましたね(*^。^*)  

宮城北部連盟での総合成績は26位でしたが、厳しいレースで帰還した、この鳩を種鳩にすると決めたのは、この瞬間でした。

実は、道下白雪南部源鳩570号には、思いで話しがあります。

ヒナ鳩馴致の時に、気仙沼の大島まで飛んでいってしまい、当時、大島で鳩レースを楽しんでいた佐藤氏の鳩舎に迷い込んだ
鳩でした。

気仙沼まで車で行き、フェリーで大島に渡り、家族皆で引き取りに行ってきたんです。

その鳩の直仔、孫、曾孫が現在活躍しているのですから、一羽の鳩の大切さを、しみじみと感じずにはいられません。